2024年9月15日 メッセージテーマ「何により頼む?」

また、十二人を呼び、二人ずつ遣わし始めて、彼らに汚れた霊を制する権威をお授けになった。 マルコの福音書6章7節  イエスがお選びになった十二人が宣教に遣わし始められます。彼らはイエスが言ったとおりに神の国の福音を宣べ伝えます(1:15)。このことにより、神の国建設計画が加速していきます。同時に、それを阻むサタンの働きも活発になります。イエスは彼らに、どうすれば福音を宣べ伝えられるのかということは教えていません。あなたは何により頼んで生きるのか?ということを教えています。遣わされるときに最も重要なことは、イエスから汚れた霊を制する権威を授けられることです。宣教は悪との霊的戦いだからです。その戦いに欠かすことのできないものがイエスの権威です。これがなければ宣教はできません。家族に福音を伝えるときに具体的にどうすればよいのか?と確かに考えます。宣教の本質が先にあって、方法も導かれます。8,9節を見ると、遣わされた際、「…持たないように」と方法を教えているように思います。しかしイエスは、福音を宣べ伝える働きに必要なものは神が備えると信じなさい!と教えているのです。悪との霊的戦いにおいて、私たちの備えるもの(知識、経験、力)では役に立ちません。ですから、どうしても神が備えてくださると信じなければならないのです。マタイの福音書6章25―34節でイエスが教えたことは、日常の必要において神が備えるから、より頼んで生活しなさいというものです。宣教に遣わされるときの教えは、この教えの原則を反映したものとなります。福音を伝える人は、神にのみ頼る生活を誰よりも深く経験する必要があります。イエスは、福音を拒む者に対して(11)、足のちりを払い落とすという厳しい対処をします。福音を伝える働きは決断を迫るものだということです。ちりを払うゼスチャーは「あなたと無関係」をあらわします。要するに、福音を拒んで滅びても、それはあなたの責任ということです。ただし、それは福音を語る側が、イエスの権威によって語っている場合です。 もしそうではなく、自分の力や経験で語るならば、語る側の責任が問われます。あなたは何により頼んで生きていますか?日常の必要は神によって養われていることをご存じですか?霊的戦いである宣教は、神により頼むことで成り立ちます。

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