2024年10月13日 メッセージテーマ(神の恵みによる宣教)
するとイエスは彼らに言われた。「さあ、 あなたがただけで、寂しいところへ行って、 しばらく休みなさい。」出入りする人が 多くて、食事をとる時間さえなかったからで ある。 マルコ6章31節 マルコの福音書6章30-44節 十二人の弟子たちは宣教に遣わされ、人々に教え、悪霊を追い出し、病人を癒しました (12,13)。その彼らに対してイエスは休むように指示しました(31)。食事をしてからだを休め なければなりません。もう一つ休む目的があります。それは「寂しいところ」で休むことです。 原語では「荒野」を指していて、人のいないところです。マルコ1章で休む間もなく働かれて いたイエスの姿があります。大変祝福された働きです(1:21-34)。そのときイエスは「…朝早く、 まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた」(1:35)という模範 を残しておられます。からだの休息とともに、神と向き合う時間が必要であることを教えて います。順調(祝福)のときよりも、苦しいときのほうが祈るのではないでしょうか?祈るべき です。ただ、ここでイエスは順調なときこそ、一度働きの手を休めて神と向き合うことの重要性 を教えています。順調で祝福されているときに、祈る必要はないとさえ思うことがあるならば、 祈りの意味を取り違えていると言わなければなりません。 この後、イエスは奇蹟を行います。しかし、その前にイエスは遅くなって家に戻ることの できない大勢の人たちに、弟子たちだけで養うように不可能な課題を突き付けます。その 目的は、福音の働きの力がどこから来るのかを弟子たちに教えるためです。五千人以上の 人たちがいるところで、弟子たちが集めることができた食べ物は5つのパンです。彼らの力を あらわすかのようです。しかし、イエスがそれを用いるならば、豊かな実りを生むのです。これ はイエスに遣わされた弟子たちの働きにも同じことが言えるのです。彼らの中に語るべき何か があるのではない、悪霊に打ち勝つ力も、病人を癒す力もないのです。彼らの持っているもの を人々に与えたのではありません。彼らを遣わしたのはイエスであり、悪霊を追い出す権威を 授けたのもイエスであり、人を罪から救うのも イエスなのです。十二人が宣教の働きから 帰って来て、まず報告すべきは、イエスへの 感謝であるべきです。有頂天になった彼らに 対してイエスは神と向き合うように指示を 出したのです。私たちも一度動かしている手や足を止めて、神と向き合いましょう。