2024年10月20日 メッセージテーマ「不信仰という逆嵐」

みなイエスを見ておびえてしまったのである。そこで、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。 マルコ6章50節 マルコの福音書6章45-52節 №32 「それからすぐ」(45)とあるように、パンを増やした奇蹟とつながっていることを意識して、今回のイエスの湖上の奇蹟を理解していきましょう。「弟子たちを無理やり舟に乗り込ませ」たイエスの意図は、パンで満たされた群衆から引き離すところにあります。並行記事のヨハネの福音書には、五千人以上の人々がパンで満たされた直後に、人々がイエスを王にするために連れて行こうとしています。「神の御子」からかけ離れた「政治家イエス」という具合に、彼らは自分たちの欲求を満たしてくれる人を求めています。弟子たちがその中に引き込まれる危険があったために、強制的に引き離しました。イエスは私たちを守るために、無理やりなお取り扱いをされるかもしれません。しかし、その間イエスは私たちのために執り成してくださいます(ローマ8:34)。弟子たちの舟はガリラヤ湖特有の嵐に見舞われ、長時間漕ぎあぐねました。嵐は既に経験済みで、その時弟子たちは風と湖を叱って凪にされたイエスを、「いったいこの方はどなたなのだろうか」と、彼らの中に大きなクエスチョンが残りました。嵐、或いは嵐のような人生の問題で困ること以上に恐ろしいのは、イエスを知らないことです。自然を支配されるイエスは、波打つ湖面を弟子たちのいる方へ歩き始めました。弟子たちがイエスを確認できる距離まで近づいたときに、イエスは彼らのそばを通り過ぎようとされました。いじわるではなく、イエスのご本質を知るチャンスを提供されたのでしょう。ところが、彼らには幽霊としか見えませんでした。彼らが取り乱した時点で、イエスは助けました。そのとき驚くべきことばをイエスは発しています。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない(50) 幽霊ではないわたしだ。しっかりしなさい!もう恐れることはないとは言っていません。「わたしだ」は神としての啓示のことばです。旧約時代に神がモーセにご自身の名をお示しになったときに「わたしは『わたしはある』という者である」(出エジプト3:14)と告げられました。神であられる方が共にいることを知る点でしっかりしなければなりません。そのイエスのご本質を知るなら、恐れる必要はないのです。そして私たちが宣べ伝えるのはその方です。

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