2024年11月17日 メッセージテーマ「人の心の中のもの」

これらの悪は、みな内側から出て来て、人を汚すのです。 マルコ7章23節 マルコの福音書7章14-23 No35  洗っていない手でパンを食べることは、昔の人たちの言い伝えに背くことだと非難したのはユダヤの指導者たちです。「昔の人たちの言い伝え」は聖書なのかを前回考えました。その聖書があってはじめて、何が人を汚し、何が汚さないかのかということがわかります。それを教えるイエスは、こう言いました。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟りなさい。」(14)これはすなわち、聖書です。「聖書正典」は「定規、規範」を元の意味とすることばです。定規が定規でなくなったら正しくはかることができなくなります。ですから、私たちは物事を聖書から正しく知る必要があるのです。  イエスは、食物について「人を汚すことのできるものは何もありません」とお答えになりました。すべての食物はきよいということであり、旧約時代の終わりを告げることを仰ったのです。そしてユダヤの指導者たちの教えを完全に否定したことになります。その上で、人の心の中から出て来るものが人を汚すと教えました。人の心の中から出て来る悪い考えの一つに「ねたみ」があります。悪い目で相手を見ることがねたみです。ユダヤの指導者たちがイエスを執拗に非難するのは、教義の違いからではありません。彼らのねたみから発しているものです。そのねたみと表裏一体のものが「高慢」です。彼らは自分たちの誤りを認めることができません。なぜなら、自分を正しいとする高慢さが支配しているからです。イエスは結局、指導者たちが教える昔の言い伝えそのものが人を汚していると革命的な発言をされたことになります。「人を汚す」は、テキスト中に5回も繰り返されています。元の意味は「神が忌み嫌うもの」或いは「神は拒絶される」です。なぜ拒絶されるのかは一目瞭然です。人のことばだからです。神のことばではないからです!「わたしの言うことを聞いて、悟りなさい」とのイエスの命令に従ったのは、弟子たちとゲネサレの地の人々でした。特に弟子たちは、「このたとえについて尋ねた」(17)とあります。私たちの心は鈍いので、尋ね続ける必要があります。自分の考えに固執しないから尋ねることができるわけで、それ自体幸いなことです。

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