2025年1月12日 メッセージテーマ「いつも喜び、絶えず祈り、 すべてのことに感謝せよ」
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
Ⅰテサロニケ5章16-18節
Ⅰテサロニケ5章16-18節
上記の御言葉は、親しまれている聖句の一つです。ただ、理解の仕方を間違えると、厳しい教えとなってしまいます。信仰生活には喜ばしくないときもあります。祈りよりも愚痴をこぼすときもありましょう。苦しいときに感謝することは難しいでしょう。それでも聖書は、「いつも…絶えず…すべてのことにおいて」と教えるのです。この教えが手紙全体の中に置かれていることを注意して、文脈から汲み取らなければなりません。
この手紙を書いているパウロは、テサロニケ教会のクリスチャンたちのことを、祈りつつ「いつも神に感謝し」(1:2)、「あなたがたこそ…喜びなのです」(2:20)と、自分が教えた通りのことをしていました。それは彼らに何の問題もなく、順調だからできたのではありません。テサロニケ教会のクリスチャンたちには「多くの苦難」(1:6)があり、パウロが彼らのところに近づくことができないほどの迫害と妨害がありました(2:18)。更には偽教師からの間違った教えにより、彼らには動揺が生じていました。その実情下でパウロは自ら実践し、なおかつ彼らに守るように教えたのです。
この教えはパウロが彼らに望んでいるのではなく、神が望んでおられるということが重要です(18節の最後部分)。神の望みの直訳は「神の意志」です。自分に喜ばしいことがあるから喜ぶのではありません。いつも喜べという神の意志がそこにあるから喜ぶのです。つまり、喜びと祈りと感謝をする根拠は私たちの中にはないということです。苦しい状況下に、「自分の中にどんな喜びがあるか」と捜すなら、この教えは重荷以外の何ものでもありません。そうではなく、神が自分に対してどのような思いを抱いておられるのかを探り求めねばならないのです。
「キリスト・イエスにある神の意志」であることを覚えてください。その意志の第一は罪人が救われることです。キリストの十字架によって、ただ罪が赦されただけの救いではありません。キリストが復活されたように、救われた者も復活します。その救いはキリストが再臨されたときに実現します。最終的に「いつまでも主とともにいることになります」(4:17)というように救いが完成します。この救いを信じ切る人は、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを神に感謝することができるのです。