2025年3月23日 メッセージテーマ「栄光のしもべ」
まことに、あなたがたに言います。ここに立っている人たちの中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。
マルコ9:1
マルコの福音書9章1-8節 No44
上記のイエスの発言はインパクトの強いことばです。というのも、イエスが再臨されて神の国が完成するときのことを言っているからです。それを死なずに見ることのできる人たちがいるとのことですが、これを聞いていた人たちは皆死んでいます。実は、イエスは六日後の出来事に最大限の関心を抱かせるために、あえて言われたのです。その出来事とはイエスの御姿が変わるというものです。その御姿はイエスが再臨されたときと同じ姿です。つまりイエスはそこで神の国の完成した型をお見せになったのです。今の弟子たちは、イエスの受難を受け止めきれずにいます。尚且つ「自分の十字架を負って」従って来ることを命じられ、相当の負担を感じていたに違いありません。苦しみの道はイエスとともに通って行かなければならないのですが、後に必ず報われることを変貌の出来事で教えようとされたのです。後にペテロは、この出来事を思い出すこととなります。さて、聖書が伝えているイエスの御姿の変化は、この世では表現しきれない輝きです。見た印象としては衣の白さと顔の太陽のような輝きです(マタイ 17:2)。これは単に服や顔が変わったのではなく、根本的な変化です。これまで弟子たちが見ていたのは人としてのイエスですが、ここで見たのは神としての姿です。彼らは神の栄光としての輝きを見たのです(黙示録21:23)。またイエスは旧約時代の律法の代表者であるモーセと、預言者の代表者であるエリヤと語り合いました。語り合った内容は「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」(ルカ 9:31)です。神の救いのご計画の中心的な事柄を、旧約・新約全体を通して語り合っていたことになります。ユダヤ指導者たちは、モーセ、エリヤを偉大な存在として認めていましたが、その二人が神として認めるイエスに殺意を抱くとはどういうことでしょうか。そこに天からの父なる神の御声が「わたしの愛する子...」とかかりました。父こそイエスを御子と認めておられます。そこはまさに御国の型です。ペテロは今混乱していますが、後に悟ります(IIペテロ 1:16-19)。苦難のキリストと栄光のキリストの両方が私たちの心を占めるようにしたいのです。特に後者は聖書からよく学ばなければなりません。これから起こることだからです。