2025年4月13日 メッセージテーマ「不信仰な時代」
すると、イエスは言われた。「この種
のものは、祈りによらなければ、何に
よっても追い出すことができません」
マルコ9:29
イエスは弟子たち(教会)を遣わし宣教をさせ、悪霊を追い出す権威を持た
せました(マルコ3:14,15)。宣教は悪魔と諸々の悪霊を敵とする霊的戦
いです。敵の目的は、イエスによって人々が救われないようにすることです。
彼らは福音に覆いをかけてきます(Ⅱコリント4:3,4)。そのための手段は
選びません。直接人に働く暴力的なものもあれば、異宗教等により聖書の教え
を混乱させる知的なものもあります。悪霊を追い出す目的は、その人が罪から
救われることです。
なぜ、弟子たちは悪霊を追い出すことができなかったのか?「この種のもの
は、祈りによらなければ…」 弟子たちは祈ったに違いないのですが、祈りが
祈りになっていないということです。ユダヤ人は日に二度祈りをささげます。
それはユダヤ教的習慣で、イエスの弟子たちもその習慣から真の祈りへと切り
替え中です(使徒3:1)。熱心なユダヤ人は日に三度祈ります。しかしイエスは
彼らを偽善者と呼びました。信仰深さを人に見せるための祈りだったからです
(マタイ6:5)。その祈りでは悪霊を追い出せません。真の祈りは、そこに神と
の交わりがあるものです。単に口からことばを発することが祈りではなく、沈
黙、訴え、嘆き、喜び、感謝も、神との交わりがあるなら祈りです。神との交
わりは、神と自分との正しい関係によって可能となります。願い事ばかり祈る
自分本位な人と正しい関係を保つことはできません。私たちは神によって罪か
ら救って頂きました。邪悪な罪ゆえ自分で自分を救えないゆえ、神が救うと決
意してくださらなければ、どうすることもできないのです。救いは恵みです。
その神と私の関係…創造者と造られた者、全能者と無力な者、罪赦す方と赦さ
れる者・・・この方との関係性がありますか?あるのであれば、それは正しい
でしょうか?
悪霊につかれた息子の父親も、イエスとの関係が正しくありませんでした
。「おできになるなら…お助けください」は謙虚と違い、できなければ別の方
法でという考えです。「できるなら、
と言うのですか。信じる者には、どん
なことでもできるのです」と関係性を
正した上で、交わることをゆるされた
全能者にはどんなことでもできると言
われたのです。イエスが悪霊を追い出
すことができたのは、父との関係が正
しかったからです。人としてのイエス
には有限なことはありますから、日々
父に祈られました。