2025年4月20日 メッセージテーマ「福音~最も大切なこと~」

…キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと Ⅰコリント15:3,4  イースターで祝うことは、イエスの復活です。それも死んだ者のからだが復活するという非科学的と思われる事柄を喜び祝うのです。聖書が最も大切なこととして伝えているのは、キリストが私たちの罪のために死なれたこと、葬られたこと、三日目によみがえられたことです。これを福音(良き知らせ)と言います。きょう取り上げたコリント人への手紙第一15章は、もし復活がなかったら、人は全く救われないということを述べています。聖書が述べるところの救いは罪からの救いです。生活の様々な苦しみからの救いではありません。というよりも、罪が様々な苦しみを引き起こしているので、根本的救いである罪が解決されれば、おのずと苦しみからも救われるというのが聖書の述べる順序です。罪の深刻な問題は、罪があるならば、その報酬として死を受け取ることです。罪と死はセットです。そこから救うのが聖書の言う救いです。そこから救うためにイエス自ら十字架にかかられました。これは罪と死という敵との戦いです(Ⅰコリント15:25,26)。十字架による死を聖書は確かな死として「葬られたこと」も伝えています。これは完全な死の敗北です。しかし、このことによって、私たちの罪を身代わりに負われたのです。罪から来る憎しみ、ねたみ、恥、痛み、苦しみ、悲しみのいっさいを負われたのです。極めて積極的 な戦いです。そして完全な死の状態から、からだの復活を遂げられました。この復活をもって罪と死に勝利したのです。このことを信じるなら、私たち自身が罪と死から救われます。罪の配下にある諸々の苦しみから救われ、私たちがたとえ死んでもよみがえるのです。それは復活されたイエスが再び来られた時に実現します。その時初めて死を完全に滅ぼされます(黙示録20:14)。聖書はイエスの復活の目撃者を挙げています(5-9節)。イエスを否んだ人、イエスを信じなかった実の兄弟、イエス逮捕の瞬間、逃げた人たち…とイエスに対して否定的な人たちに、あえて復活のお姿を現わしておられます。パウロこそ、イエスの復活を否定するどころか、キリスト教を撲滅させるために殺害もいとわない人でした。その彼が復活のイエスと出会ってしまったのです。取り返しのつかない彼の生き方を、自ら責め続けてもやむを得ない状況ですが、パウロは「神の恵みによって、私は今の私になりました」とこれ以上ない、自己肯定をしたのです。あなたも信じて、神の恵みを受け取ってください。

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