2025年5月18日 メッセージテーマ「神の熱心」
それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められ
た。
マルコ8:31
マルコの福音書9章42-47節
きょうの聖書テキストを読まれて、イエスは残酷なことを言われると思われた方がおられる
のではないでしょうか?なぜそんなことを言われたのか、追究しましょう。そのために、「イエ
ス・キリストを受け入れる」ということを軸にして、イエスが言われた真意を考えます。
イエスを受け入れる...イエスは罪人を救うために来られました。救う方法は、イエスが罪人
の罪を負われることによります。それが、捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければなら
ないイエスの本当の姿です。罪と死に敗北されたイエスが、三日後に肉体をもってよみがえら
れたことで、罪と死に勝利されたことが証明されました。この方を受け入れるのです。ところが
イエスの弟子たちは、受難の告知を受け入れられず、理解することができませんでした(8:31,
32、9:31,32)またイエスは「だれでも、このような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに
受け入れる人は、わたしを受け入れるのです...」(9:37)と言われました。イエスは子ども、す
なわち無に等しい者を受け入れるために来られました。イエスを信じる人は、そのイエスゆえ
に、そのような人たちを受け入れるのです。それはイエスを受け入れることと同じです。
無に等しい罪人は死に値する者です。その人を受け入れることは、罪を許容することとは違
います。罪は必ず罰せられなければなりません。だからイエスが私たちの罪を代わりに負われ、
罰せられたのです。私たちはこの方を受け入れるのです。
これは神が定めた救いのご計画です。変更も取り消しもなく、必ず実現するものです。だか
らイエスは死ななければならないし、よみがえらなければならなかったのです。この神のご計
画の視点から、「つまずかせる者は...海に投げ込まれてしまうほうがよい」の教えを見なけれ
ばなりません。イエスを信じる小さい者をつまずかせることは、神の救いの計画を妨げます。
つまずかせるとは、そそのかして罪を犯させる
ことです。ヨハネが悪霊を追い出した人の働き
を止めさせたこと(9:38)、イエスに従うことで、
誰が一番偉いかと議論したことは、神の計画
を妨げています。私たちも「それは神の救いの
計画に基づいているのか?」考えなければな
りません。イエスを信じる小さい者をつまずか
せる者は、大きな石臼を首に結び付けられて、
海に投げ込まれてしまうほうがよいとイエスが
言われたのは、私たちが神の救いの計画に基
づいて行動することが極めて重要であること
を強調するためです。そして、それは神の熱心
のあらわれでもあるのです(イザヤ9:7)。