2025年5月4日 メッセージテーマ「くすぶる灯芯を消すことなく」

傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。 イザヤ42:3  ヨハネは実の兄弟ヤコブとともに「ボアネルゲ」というニックネームをイエスから頂きました(3:17)。雷の子という意味で、正義感が強いのは良いので すが激しやすいのです。また、ヨハネは、御国においてイエスの右か左に座ることを願うほど気位が高い人でもあります(10:37)。ヨハネ以外の弟子たちにも言えることですが、ここのところのマルコ福音書の記述を思い出してみても、失敗の連続です。イエスの受難を受け入れられず(8:31-)、悪霊を追い出すことができず(9:14-)、誰が一番偉いかと論じ合(9:33-)…弟子としてふさわしいのでしょうか?確かなことは、それが彼らであり私たちであること、その者たちをイエスがお選びになったことです。これを前提として、今日のテキストを受け止めたいのです。ヨハネは、イエスの名によって悪霊を追い出している人が、イエスについて行くことを拒んだために、その行為をやめさせました。しかし、イエスは「やめさせてはいけません」と。イエスの名において悪霊を追い出す働きは、イエスの権威によるイエスご自身の働きです。ヨハネの判断はイエスの邪魔をすることになります。またも失敗のヨハネは、これからも失敗するでしょう。その彼にイエスが教えた真理は、「あなたがたがキリストに属する者だということで…一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません」です。これを失敗のヨハネに当てはめます。彼の価値は、その失敗によって変わることがないのです。だからイエスは今後も彼に大事な働きを委ねます。なぜなら、彼が「キリストに属する者」だからです。イエスを信じて、罪を赦されて救われた人だから、弱くて、これからも罪を犯しても、その価値は変わらないのです。イザヤ42章3節は、二つの意味に取ることができます。2,3メートルにもなる葦はまっすぐ伸びますが、弱く折れやすい。神はそのような私たちを守ります。今にも消えそうなともし火を守るように、私たちを守ります。もう一つは、折れてしまった神の教えを再び立たせるという意味です。「葦」は「物差し、原理」などの元の意味があ ります。つまり物事をはかる尺度としての「聖書」を指します。「ともし火」はみことばの光を意味します。消えかけている神の教えを再び燃え立たすということです。どんなに罪を犯し、失敗してもイエスのゆえに受け入れるのが聖書の教えです。だからイエスはヨハネに失望することなく受け入れます。ヨハネも同じように、イエスについて来なかった人を受け入れなければなりません。キリストに属している人だからです。

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