2025年6月15日 メッセージテーマ「望み」
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。
ローマ4:18
ローマ人への手紙4章17-25節
「ある事の実現を望み願うこと、将来に対する期待」これが一般的な「望み」の意味です。こ
れに対して聖書の「望み」の意味合いは「何かを待っているときの緊張状態」が元の意味で、
「待つ或いは待ち望む」それが望みです。これらのことから、状況に望みを置くのが一般的で、
人物(人格的なもの)に望みを置くのが聖書的理解です。「私は主(神)を待ち望む...私はこの
方に望みを置く」(イザヤ 8:17)というようなフレーズが聖書には沢山記されています。状況は
良くも悪くも変わります。そのような対象について待ち望むというのは不自然かもしれません。
アブラハムという人は、状況が良くなる確証がないまま、神を待ち望んだ人々のひとりです。
彼が80歳のころ、彼から生まれ出る者から無数の星のように、子孫が増えるとの約束を、神
から頂きました。しかし、99歳になっても、その約束は果たされません。ですから、彼は自分な
りに考え、可能性を見出そうとしました。代理母も実行しました(創世記15-17章)。
すべて状況に望みを置いても、幸せになることはありません。罪の配下にある望みだからで
す(ローマ3:9)。人は自分の意志で罪を犯しますが、主導権は罪そのものにあります。人を愛
することができず、自己中心的言動は、道徳的な努力をしても直りません。人が必ず迎える
「死」は、罪が主導権を持つ決定的なことです。聖書は死を単なる寿命とはとらえず、罪の報い
と主張します(ローマ6:23)。
人は望みがなければ生きていけません。アブラハムは神に望みを置いたことで、代理母で
も、他の手段によってでもなく、夫100歳、妻90歳のからだから、新しいいのちを授かりました。
「彼(アブラハム)は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。」(ヘ
ブル11:19)と聖書にあるように、神には復活の力があることを信じたのです。そして、このアブ
ラハムに起こったことは、真の望みを彼が選ぶ
ためであり、今の時代の私たちが同じ祝福に
あずかるための神の計画だったのです。彼が
復活の力を信じたように、私たちも死者の中
からよみがえったイエスを信じ、罪から解放さ
れて真の望みに生きるのです。イエスの十字
架の死と復活は、罪とその支配に勝利した証
しです。この方を信じるなら、罪から解放され、
神に望みを置くことで、幸いを得ることができ
るのです。