2025年6月22日 メッセージテーマ「子どものように神の国を受け入れるとは」
まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。
マルコ10:15
マルコの福音書10章13-16節
再び「子ども」が登場します。しかも、神の国というイエスにとって最も大事なことを教えるにあたって、欠かすことのできない存在として教えています。前章では、子どもたちを受け入れなさいと教えました(9:36,37)。(ユダヤ)社会的に認められていない存在が子どもです。なぜなら、小さな者たちは自らの力で生きることができないからです。必ず誰かに依存しなければ存在し得ないのです。罪の配下にある人間こそ、神に依存しなければ生きることができない存在です。人は堕落した結果、本来愛し合うべきなのに、妻は夫を所有したくなり、しかし夫が妻を支配するという一致し得ない関係になりました。罪によって人間だけではなく、大地(被造物)がのろわれ、その結果人は苦しんで糧を得るという労働の苦しみを負いました。その苦しみの果てに死を迎えるのです。これが罪の配下にある人間の姿です(創世記 3:16-19)。そのような人間を罪から救うために来られたのが救い主イエス・キリストです。イエスの十字架の死は、信じる者を罪から解放し、イエスの復活は、罪と死に勝利した証しであり、信じる者自身も罪と死に勝利するのです。イエスが子どもを受け入れるのは、子どもに見る罪の配下にある人、神なしでは生きることができない人を受け入れるということです。弟子たちが、その子どもを叱ったということは、神の国の本質に水をさすようなことなのです。ですからイエスは、弟子たちに憤って神の国の奥義を教えられたのです。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」(マタイ5:3)山上の説教の冒頭に出て来る教えです。神なしでは生きられないと自覚している人は幸いで
あることを、イエスは宣教の初期から教えておられました。弟子たちはこの教えを受けていました。「子ども」を例にした神の国についての教えにおいても、おそらく繰り返し受けていたと考えられます。弟子たちを見てわかるように、神の国の奥義は一度や二度で悟ることができるわけではありません。イエスは彼らの鈍さを承知しておられ、愛と忍耐をもって繰り返し教えるのです。私たちこそ、神の国の奥義を、聖書を通して、何度も教えられなければなりません。真理の杭を心の奥底に打ち付けるために、何度もです。誰が神の国に入ることができますか?子どものように神の国を受け入れる人。どのようにしたら神の国に入ることができますか?イエスを信じたら(十字架と復活)入ることができる。実に単純ですが、奥義です。奥義に対して必要なのは愛と信頼です。