2025年6月8日 メッセージテーマ「聖書の教えと頑なな心」
ふたりは一体となる』のです。ですから、彼らはもはやふたりではなく、一体なのです。
こういうわけで、神が結び合わせたものを、人が引き離してはなりません。
マルコ10:8-9
マルコの福音書10章1-12節 №51
「夫が妻を離縁することは律法にかなっているか」という質問がイエスに投げかけられました。当時、律法の解釈(申命記24:1)から、不貞以外は離婚理由にならないとする立場と、どのようなことでも離婚理由になるという立場がありました。いずれも夫が妻を離縁する場合で、女性はないがしろにされていました。ユダヤ特有の文化、習慣から女性の人権が認められていないところから来ています。当時のユダヤ人は、弟子たちを含めて、夫にのみ離婚の権利があると思っていました。イエスは離婚のことが律法に書かれた理由を、「あなたがたの心が頑な」だからと答えられました。本来の結婚の制度に従うことをしないで、女性が軽んじられたために、女性を守るための律法でもあったのです。
イエスはご自身の結婚観を、「創造のはじめから、神は彼らを男と女に造られました。」と教え始められました。このことばから、結婚は神の救いのご計画の中にあるものということがわかります。神は男と女を一体の存在として造られました。はじめに男、次に女を男のあばら骨をもとに、助け手として造られました。男だけでは人として成立しない、不十分だということです。男と女とがいて本来の人となるのです。この神の計画の視点に立って結婚をとらえると、本来一体だった者たちが、その本来の姿を取り戻すために結び合わされるのです。これが聖書の結婚観です。無関係な二人が偶然に出会って結ばれるということではないのです。
本来持っていた一体を回復するために、父と母を離れます。たとい親と同居していたとしても、精神的に強い意志をもって離れることが必要です。親と離れることは、イエスを信じ、イエスの結婚観をもって可能となります。そうして二人は結ばれて(離れられない状況)、一体となります。イエスはこの結婚観から離婚について踏み込まれます。つまり、この結婚の主旨から離婚という発想はあり得ないということです。質問者は離婚ありきです。立っている位置が違います。
私たちはなぜ、こんなにも結婚において苦労するのでしょう?それは単純に、神の結婚制度から外れているからです。ではなぜ、神の結婚制度から外れてしまうのでしょう?人の心が頑なだからです。まさにその固い心でイエスの十字架と復活という神の救いの計画を受け入れようとしないのです。同じように、その神のご計画の中にある結婚制度も受け入れようとしないのです。神によって心を砕かれて、神とその計画を受け入れる幸いを得たいものです。