2025年8月17日 メッセージテーマ「霊的盲目からの解放」
イエスは彼に言われた。「わたしに何をし
てほしいのですか。」すると、その目の見えな
い人は言った。「先生、目が見えるようにして
ください。」
マルコ10:51
マルコの福音書10章46-52節 №58
弟子たちとともにエルサレムに向かうイエスのあとに、多くの群衆がついて行きます。万単
位の数かもしれません。多くの人の思いの中に、「イエス、イスラエルの王へ」の期待が高まっ
ていたのかもしれません。その大集団がエリコに着くと、目の見えない物乞いがいました。バ
ルティマイです。当時障がい者は社会的弱者と見なされ、一般職に就くことができなかったた
め、人通りの多い道端に置かれて物乞いをしたのです。イエスが町に来ていることに気づいた
バルティマイは、イエスに救いを求めて叫び始めました。「ダビデの子のイエス様」と言ったこと
から、彼はイエスに関する知識を持っていたことがわかります。その知識はイエスがキリストで
あるとの認識です。彼よりもはるかに聖書の知識を持つ祭司長、律法学者は、決してイエスを
キリストとは信じません。多くの人たちが彼を黙らせようとするのは、イエスがエルサレムに向
かう目的を、彼が阻んでいると見なしたからです。彼は止めるどころか、ますます叫びます。
イエスは立ち止まりました。大集団の流れもストップです。これはある意味、エルサレムへの
道の流れを止めたことになります。先頭に立ってエルサレムに向かうイエスの姿を見て周囲が
恐れるほどの勢い(10:32)を止めてしまった?…しかしイエスにとっては、受難の頂点と一人
の盲人をあわれむことは同じくらい大切なことなのです。流れとしては予定変更を余儀なくさ
れたのかもしれません。しかし、固い決意の道中でも、道端に座っている者への奉仕を忘れて
おられません。バルティマイの叫び声は、イエスが最も聞きたい救いの叫びです。実に、イエス
はそのような人のために、エルサレムにおける十字架に向かっておられるのです。一般的なタ
イムマネジメントは効率よく生産性を上げるものです。しかし、神の国のタイムマネジメントは、
非効率的であり、非生産的です。罪から人を救うことにおいて、効率を求めていたら、神の救いの計画は最も採用されるべきものではなくなります。人を愛することにおいても効率化は相
応しくないのです。
求める彼に、「わたしに何をしてほしいので
すか」と確認質問としてではなく、彼にキリスト
への信仰を引き出させようとしています。バル
ティマイは「目が見えるようにしてください」と、
明確に求めました。それは「救ってください」と
の表明です。イエスがエリコの町を通るのはこ
れが最後です。彼の叫びはなんというタイミン
グなのでしょう。「…今は恵みの時、今は救い
の日です」(Ⅱコリント6:2)とあるように、今あ
るチャンスを逃したくありません。