2025年8月31日 メッセージテーマ「それは真実な礼拝か?」
そして、人々に教えて言われた。「『わたし
の家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれる』
と書いてあるではないか。それなのに、おま
えたちはそれを『強盗の巣』にしてしまった。」
マルコ11:17
マルコの福音書11章12-20節 №60
聖書を読むときのコツは「疑問と追及」です。柔和な方として平和をもたらす王として入城さ
れたお方が、どうしていちじくの木をのろい、神殿である人々を追い出したり、台を倒したりす
るのでしょうか?追求しましょう。さて、木は一夜にして枯れることはありません。通常、徐々に
です。まずこの出来事が奇跡であることを心に留めましょう。では、なぜイエスは破壊的な奇
跡を行ったのでしょう?
著者マルコは、いちじくの木をのろい(12-14)、翌朝には、その木が枯れた出来事(20)の
間に、神殿での一幕を入れています(15-19)。旧約時代に神が定めた礼拝では、いのちの犠
牲をささげていました。ですから、人々がエルサレムに来るときには、家畜(牛、羊等)とともに
来たのです。ささげる犠牲は傷のない家畜でなければなりません。遠方から来ると不利です。
途中羊が弱ったり、傷がつくからです。その配慮のために、神殿では家畜の売り買いがされま
した。鳩を売る人がいるのは、貧しい人たちのためです。両替人がいるのは、生活上使われる
ローマ貨幣から、献金用のユダヤ貨幣に両替しなければならないためです。これらに問題点
はありません。イエスが問題視したのは、神殿での礼拝が制度化されたことです。神殿内には、
ユダヤ人女性の礼拝場、ユダヤ人男性の礼拝場が決まっていました。異邦人の礼拝場もあり
ました。実は、鳩の売り買いや両替は「異邦人の庭」で行われていました。物の運搬もそこを通
ります(16)。なぜかというと、「売り買いや運搬がそこで行われるのは礼拝にふさわしくない」
とユダヤ人たちが嫌ったからです。「異邦人たちはいいの?」ということになりますが、ユダヤ
人たちにとって関係ありません。彼らは「この形の礼拝をしたら、正しいし祝福される」と、形骸
的な礼拝に陥っていきました。本来、救いの感謝と喜びを神にささげることを礼拝と言います。
祝福を受けるために礼拝をするのではありません。ユダヤ人たちは受けること以上に、神から
も人からも尊いものを奪っているのです。
そして、強盗の巣と言われても仕方ありません。そこには
いのちがありません。
いちじくの木はイスラエルを象徴しています。
実のならないその木は、ユダヤの制度をたと
えています。実質的ないのちがなければ、その
木は不要なのです。いのちがない状態での礼
拝は、もはや形だけを立派にしていくしかあり
ません。あなたの礼拝、または奉仕はいのちが
ありますか? 喜びと感謝を神にささげている
ものですか? それとも礼拝の目的が受け身
になっていませんか?