2025年9月14日 メッセージテーマ「従うべき権威」
そこで、彼らはイエスに、「分かりません」と答えた。するとイエスは彼らに言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。」
マルコ11:33
マルコの福音書11章27-33節 №62
宮きよめ(11:15-19)でイエスが行ったことを受けて、ユダヤの指導者たちは、イエスが何の権威で行っているのかを聞かずにいられない状況に陥りました。これまでも、イエスの行う奇跡や教えを見聞きして、誰から授けられた権威なのかを、心に疑念を抱いていたことでしょう。エルサレム入城の様子、神殿で「わたしの家(神殿)」とイエスが発言されたことばは決定的でしょう。イザヤ書を引用されたことばですが、彼らにはイエスの家と聞こえています。事実、イエスはご自分の家との認識で発言されています。
ユダヤの指導者たちの権威に対する認識は、「モーセの権威」から来ています(ヨハネ9:28,29)。その権威に基づいて働きを行っています。また先輩のラビ(ユダヤの教師)の名も、権威を保証するものとなっています。彼らはこのような制度の中で、正式に任命されて権威を得ます。イエスにはそれらがないわけです。つまり権威がないにもかかわらず、神殿内での規定に従わないこと、更にはその規定を排除するような行為をどうしてできるのか?と聞きたいわけです。実は指導者たちの心には、止められないイエスの言動から、何かが起こるのではないかという不安が大きくなっていっているのです。
イエスは彼らの質問に対して、逆に質問を投げかけています。イエスの質問に答えたら、何の権威によって行っているかを答えましょうと。ヨハネのバプテスマは天から来たものか、つまり神からの権威か、人から出たものか(人の権威か?)、答えなさいとイエスは言われました。指導者たちはヨハネを信じていないので、神からの権威としてのヨハネだとは理解していません。では、ヨハネは人から出た、人の権威に基づいた活動だったのか…彼らは「わかりません」と答えました。もし、人から出たと答えたら、ヨハネを神からの権威と信じていた大勢の群衆に反発を食らいます。彼らの回答は「わかりません」です。彼らは人を恐れました。人の評価を気にしました。結局、彼らは何が真理か、何が正しいかということではなく、何が安全か、何が得かという、極めて不純な動機であることが明らかになりました。そんな彼らにイエスもお答えになりません。
イエスは神なのか、信じるに値するのかということを考えているなら、それはイエスの権威を問うていることになります。人は罪の性質上、神の権威に反発をします。自分にとって何が得か、その自分の主張を崩されはしないか、いわば、自分の権威を崩されはしないか…これが人間です。この自分に対して一番の天敵はイエスの権威です。それを認めることが、すなわちイエスを信じることです。