2025年9月21日 メッセージテーマ「神の救いの不思議さ」

家を建てる者たちが捨てた石、 それが要の石となった。 これは主がなさったこと。 私たちの目には不思議なことだ。 マルコ12:10-11 マルコの福音書12.章1-12節 No63 イエスは、ご自分の権威を疑って殺そうとたくらむユダヤ指導者たちに、たとえ話をされまし た。ぶどう園の主人となる人が、苗を植え、侵入者を防ぐ垣根を巡らし、踏み場を造り、見張り やぐらを建てました。そして主人は、整ったぶどう園を農夫たちに貸して旅に出ました。収穫期 になり、主人は収穫の一部を受け取るためにしもべを遣わしましたが、農夫たちはしもべを打 ちたたいたり、辱めたり、殺したり...。多くのしもべが遣わされましたが、農夫たちのひどい仕 打ちに合いました。最後に主人は息子を遣わしました。ところが農夫たちは、息子を殺せば、相 続財産を奪うことができると考え、息子を殺して外に投げ捨てました。 神の真理を伝えるたとえ話の意味を正しく受け取りましょう。「ぶどう園」はイスラエルの民、 「農夫」はユダヤ指導者、「主人」は父なる神、「しもべ」は預言者たち、「息子」はイエス・キリスト のことです。実際に石の多いパレスチナの土地は、土を掘り起こす前に、石を取り除かなけれ ばならない手間のかかる作業です。その上で、苗を植え、垣根、踏み場、見張りやぐらを建て たりと、非常に手間と時間がかかり、苦労が絶えないのです。実にイスラエルの民とかかわる ことは苦労が絶えないということです。神によって育てられたにもかかわらず、その方を知らな いと反抗する罪における苦労が絶えないのです。多くの人たちは神など知らないと言うでしょ う。しかし、もし神が人類を創造し、水も食べる物も造るだけでなく、その資源を提供し続けて くださっているとしたら、神を知らないと言うこと自体が大きな罪となります。それでもなお、神 は民を愛し、人類を愛しています。彼らを愛する根拠を彼らの中にではなく、ご自分のうちに 持っておられるからです。 ぶどう園のたとえ話は、限りない神の愛を示しています。たとえの結末は、農夫たちが息子を 殺すことです。実際の展開として、この後イエスはユダヤ指導者たちにより不当に逮捕され(マ ルコ14章)、罪なき方を十字架で殺すのです (15章)。イエスはご自分の身に起こることを、 たとえで語っているのです。たとえの結論は、 旧約聖書の引用で「要の石」についてです。建 物を建てるときの建材として一番重要な石の ことです。専門家がよく調べた結果、不要な石 として捨てました。しかし、それが要の石だった のです。十字架につけろ!と、まさに要の石で あるイエスを捨てたのはユダヤ指導者たちで す。人類を罪から救う、なくてはならない石だ ったのです。ただ、イエスが捨てられたからこ そ、それが救いとなったのです。人間には計り 知れない神の計画がそこにあります。

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