2025年9月7日 メッセージテーマ「信じて祈れ」

ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 マルコ11:24 マルコの福音書11章20-25節 №61 いちじくの木をのろったさばきの話題から、祈りが聞かれる話題に移りました。イエスは、いちじくの木の奇跡を例にして、信じて祈るなら不可能なことでも可能になることを教えています。イエスが行った奇跡は、父なる神を信じて疑わずに行動されたことで可能となっています。御国の民は、この重要な真理をしっかり把握する必要があります。「祈り求めるものは何でも…そのとおりになります」と言われたら、あれもこれも祈ろうと思う人がいるかもしれません。物価高で生活が大変だから、もっとお金がほしいという祈りも、この問題を解決してほしいという願いも、疑わずに、祈ったとおりに神はしてくださると信じるのであれば聞かれます。あなたが祈ったその祈りを、神は必ず聞いてくださると信頼することが重要です。子どもがおもちゃが欲しいと駄々をこねるのは、親への信頼があってこそです。もし信頼されていなかったら、願いに応えるほうも、応えたくはないでしょう。 もう一つ考えなければならないことは、信じる信仰と確信の出所です。不可能なことが可能になるとの確信はその人のうちにはありません。その確信は、救われた人のうちにある聖霊によって抱くことのできるものです。生活が大変でお金が必要との祈りを、確信をもって信じて祈ることができるなら、そこに聖霊が働いておられるということになります。もし確信をもって祈ることができないなら、聖霊は働いておらず、神のみこころではないわけです。 神のみこころ(お考え、計画)とは、神の国を造ることです。聖書にはそのことが沢山預言されています。イエスが王としてエルサレムに入城されているのはその一環です。ただし、この時は、すべての人の背きの罪を拭い去る、しもべなる王として来られています。神の国の建設途上です。そのゴールは千年王国(ミカ4:1,2、6-8)であり、新天新地(黙示録21:1-4)です。 イエスは祈りの教えの中に、「赦しなさい」(25)ということも入れています。赦しがたい思いで祈っても、聖霊は働かれません。人を赦すことは、動かない山が海に入るくらいに出来ないことです。イエスが十字架にかかられるのは、イエスをののしり、或いは無視する人たちを赦すためにです。山が海に入る以上のことをなさっているのです。この方を信じるなら、赦すという不可能は可能になります。

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