2025年11月9日 メッセージテーマ「安らぎを見出す道」

主はこう言われる。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。彼らは『私たちは歩まない』と言った。 エレミヤ書6:16 マタイの福音書11章25-30節 安らぎを見出すためのイエスの方法は、第一に「わたしのもとに来なさい」です。今負わされ ている重荷、疲れ...経済的なこと、体調、人間関係、家族、勉強、異性、日常の思い煩いなど、 何でもOKです。重要なことはイエスのもとに行くことです。その重荷ゆえに、その人は色々な ところに向いています。自分で何とかしたくて自分に向き、理不尽なことを負わされた相手の せいにしたくて相手ばかり見て、何も考えることができずに立ち尽くしと。まずイエスのほうに 向き直る必要があります。それでようやくイエスのもとに行くことができます。 イエスのもとに行くなら休ませてもらえます。恐れがない、心配がない、失望がない、不確か さがないという消極的な安らぎと、心が平安で、次の活動をする準備が整っている状態の安 らぎとが与えられます。 第二に、「わたしから学びなさい」というイエスの方法で安らぎを頂くことができます。イエス は柔和でへりくだっているお方です。謙遜に仕えるお方であるということです。どこまで仕える かというと、しもべ(奴隷)の仕え方以上で、十字架の死に至るまで仕えられるお方です。だか ら、どんな人をも受け入れることができます。その方から学ぶと安らぎを見出します。 それはイエスのくびきを負うという学びです。二頭の牛の首に、進むべき方向へ誘導するた めの棒状の木が「くびき」です。旧約時代では、奴隷状態を示すために使われたことばです。 ただ、本来人はくびきを必要とします。そもそも人は一人ではなく、二人で一人と定められまし た(結婚の制度)。罪を犯してからの人間は、互いに向かう方向が違ってしまいました。前へ進 めません。一人のほうが楽に進むと思われるでしょう。もし全部のくびきを否定するなら、すべ ての荷物を自分で負わなくてはなりません。だから、私たちはイエスのもとに行くのです。 イエスのくびきを負うとは、イエスのくびきを 担うこと、つまりイエスの弟子になるということ です。イエスのおしえを知識として学んだもの が、実生活と結びつき、おしえを実践したとき、 弟子としての醍醐味を味わうのです。 たましいに安らぎを見出す分かれ道があり ます。いにしえ(永遠)の通り道を尋ね歩むとき にそれを得ます。それはイエスの弟子として歩 む(学ぶ)道であり、そこを通ることで安らぎを 見出すことができるのです。