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1月, 2025の投稿を表示しています

2025年1月29日 祈祷会メッセージ動画

イザヤ書3,4章 テーマ「 主の若枝 」

2025年1月26日 礼拝メッセージ動画

第1テサロニケ5章23~28節 テーマ「 恵みと平和があるように 」

2025年1月26日 メッセージテーマ「恵みと平和があるように」

平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。 Iテサロニケ5章23節 Iテサロニケ5章23-28節 この手紙の結びで、パウロの願いが込められています。クリスチャンたちが神によって、完全に聖なるものとしてくださるようにとの願いです。「平和の神」がそれをしてくださいます。神の平和は争いが一切なくなり、豊かな繁栄がもたらされるものです(イザヤ 2:4)。その実現はキリストが再臨されたときに実現します。聖なるものとされる完全さは、私たちの「霊、たましい、からだのすべて」に及ぶ全人格的なものです。人には霊的部分があるから、祈り心があり、死後のことを考えます。だから人は宗教を造り出したのです。本来この霊はまことの神と交わるためのものです。また、人のたましいは知性、感情、意志といった心の部分です。この心に伴うものとして、人にはからだ(肉体)があるのです。心も肉体も不安定であり、衰えるものです。それらが完全に聖なるものとされるのです。人はイエスを罪からの救い主と信じて救われるときに、立場上聖なるものとされます。ただ、その状態は罪の弱さに翻弄されます。次に、救われた人は神から聖なるものとしての立場を頂いたので、段階的に聖なるものとされていきます。罪から離れようとし、信仰が成長していきますが、罪のない完全な状態に達することはありません。イエスのようになっていくプロセスがこの段階です。最終的に完全に聖なるものとされるのですが、それはイエスの再臨のときです。そのとき「キリストに似た者」となります(Iヨハネ3:2,3)。イエスに罪はなく、死に勝利されました。永遠のお方であり、完全な愛に満ちたお方です。私たちもそうなります。イエスは神です。そこは同じになることはありません。「キリストに似た者」とはそういうことです。今の自分を見て、イエスに似るとは思えない、むしろ後退するのではと考える人もいるでしょう。聖書の約束に立ちましょう。「キリストにこの望みを置いている者はみな、...自分を清くします」(Iヨハネ 3:3)。重要なのは聖なるものとなるためのやる気や努力ではなく、再臨のイエスに望みを置くかどうかです。私たちはどこまでも不...

2025年1月22日 祈祷会メッセージ動画

イザヤ書2章6~22節 テーマ「 主おひとりだけが高く上げられる 」

2025年1月19日 礼拝メッセージ動画

Ⅰテサロニケ5章19〜22節 テーマ「 御霊を消さず、預言を軽んじず 」

2025年1月19日 メッセージテーマ「御霊を消さず、預言を軽んじず」

御霊を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。 Ⅰテサロニケ5章19、20 Ⅰテサロニケ5章19-22節  「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい」(5:16-18)との教えは、救われたキリストにある人が守ることのできる教えです。それは 必ずイエスの再臨を前提とした教えです。イエスが来られたとき、私たちの苦悩の根源である罪と死を打ち滅ぼされます。イエスを信じる者はすべての苦悩から解放されるだけではなく、イエスと同じようによみがえります。これを根拠とするなら、死の間際であってもこの方にあって喜ぶことができるのです。この教えの次に、「御霊を消してはいけません」という教えが来ます。御霊とは「父なる神、子なる神、聖霊なる神」の聖霊の神のことです。この方が人の救いに直接かかわり、助け主として、罪を教え、神の義をわからせてくださいます。また、この方は語られた聖書のことば(説教)の中で真理を立証してくださいます。私たちが「いつも喜びなさい…」の教えに従うことができるのも、この方の働きによるのです。だから、御霊を消す、つまりこの方の働きを制限したり、妨げてはならないのです。御霊を消さないためには「預言を軽んじ」ないことがどうしても必要です。ここで語られている「預言」とは聖書を語る説教のことです。みことばが語られるということは、そこに聖霊が働かれるということです。それで初めてみことばの真理が立証されるのです。罪の赦しと救われた者の復活をもたらす福音のことばは、聖霊が働いて語るときに成り立ちます。もし、その説教を軽んじることがあるなら、御霊を消すことになります。教会における宣教の働き自体を制限させることになります。また、みことばを語る人も、神のことばではなく、人間の伝統や習慣を語るのなら御霊を消すことになります。御霊を消さず、説教を軽んじないための対策の一つとして、神のことばの吟味と識別を行います(21,22)。 救いが完成していない私たちは、救われても罪の弱さを持っています。ですから、語るべき神のことばの中に良いものと悪いものとがあるのです。語る者は常に吟味しなければなりません。聞く者も鵜呑みにならないように備える必要があります。

2025年1月15日 祈祷会メッセージ動画

イザヤ2章 テーマ「 終わりの日 」

2025年1月12日 礼拝メッセージ動画

テサロニケ人の手紙第1 5章16〜18節 テーマ「 いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝せよ 」 先週の新年礼拝に引き続きのメッセージになります。 そちらもご参照ください。 先週の動画はこちら

2025年1月12日 メッセージテーマ「いつも喜び、絶えず祈り、 すべてのことに感謝せよ」

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。 これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 Ⅰテサロニケ5章16-18節 Ⅰテサロニケ5章16-18節   上記の御言葉は、親しまれている聖句の一つです。ただ、理解の仕方を間違えると、厳しい教えとなってしまいます。信仰生活には喜ばしくないときもあります。祈りよりも愚痴をこぼすときもありましょう。苦しいときに感謝することは難しいでしょう。それでも聖書は、「いつも…絶えず…すべてのことにおいて」と教えるのです。この教えが手紙全体の中に置かれていることを注意して、文脈から汲み取らなければなりません。 この手紙を書いているパウロは、テサロニケ教会のクリスチャンたちのことを、祈りつつ「いつも神に感謝し」(1:2)、「あなたがたこそ…喜びなのです」(2:20)と、自分が教えた通りのことをしていました。それは彼らに何の問題もなく、順調だからできたのではありません。テサロニケ教会のクリスチャンたちには「多くの苦難」(1:6)があり、パウロが彼らのところに近づくことができないほどの迫害と妨害がありました(2:18)。更には偽教師からの間違った教えにより、彼らには動揺が生じていました。その実情下でパウロは自ら実践し、なおかつ彼らに守るように教えたのです。 この教えはパウロが彼らに望んでいるのではなく、神が望んでおられるということが重要です(18節の最後部分)。神の望みの直訳は「神の意志」です。自分に喜ばしいことがあるから喜ぶのではありません。いつも喜べという神の意志がそこにあるから喜ぶのです。つまり、喜びと祈りと感謝をする根拠は私たちの中にはないということです。苦しい状況下に、「自分の中にどんな喜びがあるか」と捜すなら、この教えは重荷以外の何ものでもありません。そうではなく、神が自分に対してどのような思いを抱いておられるのかを探り求めねばならないのです。 「キリスト・イエスにある神の意志」であることを覚えてください。その意志の第一は罪人が救われることです。キリストの十字架によって、ただ罪が赦されただけの救いではありません。キリストが復活されたように、救われた者も復活します。その救いはキリストが再臨されたときに実現します。最終的に「いつまでも主とともにいることになります」...

2025年1月5日 新年礼拝メッセージ動画

テサロニケ人への手紙第1 5章1〜15節 テーマ「 再臨の準備 」

2025年1月5日 メッセージテーマ「再臨の準備」

その働きのゆえに、愛をもって、この上 ない尊敬を払いなさい。また、お互いに 平和を保ちなさい。 Ⅰテサロニケ5章13節 Ⅰテサロニケ5章12-15節 「再臨」とは、イエス・キリストがもう一度地上世界に来られることです。すべての悪をさばき、すべての善に報いるために来られます。悪とは永遠の真理である神を最後まで拒むことです。善とは神を受け入れた人たちのことです。悪も善も、今生きている人たちだけではなく、既に死んだ人たちも漏れなく対象です。いずれもよみがえらされて、さばきを受け、或いは報いを受けるのです。善の完成とは、すべての信者に復活のからだが与えられ、永遠のイエス・ キリストとともに生きる者となることです。地上においてはメシア王国として、天においては 新天新地として神の国が完成します。これが救いの完成です。そしてこれが神の計画であり、神の目標です。他にはありません。 教会に連なる救われた人たちは、この再臨の望みに生きることで結び合わせられています。 教会が何で結びついているかということが重要です。その結びつきを保つために、「お互いに平和を保つ」(13)ことが大事になってきます。この平和は何事もない消極的な意味ではなく、神の祝福に溢れた「シャローム」としての平和です。この平和を保つことが再臨の準備となり ます。「怠惰な者を諭す」ことで平和を保ちます。テサロニケの信者たちは落ち着きをなくし、 仕事を辞めてしまいました(Ⅰテサロニケ4:11)。その原因は、再臨の間違った理解です (Ⅱテサロニケ2:1,2)。すでに再臨があったと偽教師に惑わされたのです。この世は終わったと思った彼らは、働くことに意味を見出せなくなったのです。そんな彼らが教会で神を礼拝し、奉仕をしても平和を保つことはできません。ですから、怠惰を諭されたのです。また、「小心な者(心の弱い人)を励ます」こと、「(信仰の)弱い者の世話をする」ことで平和を保ちます。それらの目的は福祉的なところにはありません。再臨の望みに生きることによる一致、平和のためにするのです。「悪に対して悪を返さない」すなわち兄姉に復讐をしないことでも平和を保ち ます。また、教会で指導、訓戒する人を重ん じることで平和を保ちます(12,13)。彼らは神のことばを正しく取り次がなければなりません。再臨の教えはなおさらです。神のことばを教える役...