だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。 Ⅰコリント3章11節 コリント人への手紙第一3章 11節 「…空の空。すべては空。日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。」(伝道者の書1:2,3)このことばはソロモン王が語ったことばです。ソロモンは「大丈夫」と言える生きる保証のようなものを誰よりも持っていた人です。一国の王としての権威と力と財産だけではなく、知恵にも富んでいました。彼は力と知恵で利益となることを求めようとしました。事業の成功、所有物、宝、更なる知恵…快楽に至るまで、ありとあらゆるものを手に入れました。しかし、その結果は「すべて空しい」でした。有益な知恵でさえ、「実に、知恵が多くなれば悩みも多くなり、知恵が増す者には苛立ちも増す」(1:18)と。誰よりも力のある者がこのように言うのであれば、誰が安心して生きられるのでしょうか。ソロモンが語ったことばで重要な部分は「日の下」です。日の下とは、「地上にあるもの、この世の価値観において」というニュアンスがあります。そこでどんなに労苦しても無意味であると大変痛いことばを発しています。「曲げられたものを、まっすぐにはできない。欠けているものを、数えることはできない」(1:15)とも述べています。日の下には曲がっているものが沢山あります。本来まっすぐにすべきなのでしょうが、どうすることもできないのです。それを見てソロモンは、『まっすぐにすることは、まるで無いものを数えているようなもの』と述べたのです。能登半島における地震と豪雨はあってはならないものです。しかし、私たちは支援をしながらも、どうすることもできない歯がゆさを覚えずにはいられません。世界の紛争もまたしかりです。ソロモンが語った伝道者の書のテーマは「日の下では空しさしかない」です。日の下には決して答えはないということです。つまりこの書のメッセージは「日の上にこそ答えがある」と導こうとしているのです。日の上とは見えない永遠の神の世界です。誰もが認めがたい世界です。しかし日の下の空しさ、何をもってしても大丈夫とは言い難い事柄を悟った人は、日の上の事柄こそ悟るのです。恐らく人は日の上の事柄を信じ難いから求めないのではなくて、日の下で大丈夫と思っているから求めないのでしょう。日の上...