「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。」 エレミヤ31:3より エレミヤ書31章1-6節 エレミヤが預言者として活動していた時代(紀元前7世紀)のイスラエルは周 辺国家の攻撃に遭い、北イスラエルはアッシリヤに、南ユダはバビロンに侵略 されました。多くの民が殺され、生き残った民は捕囚となりましたが、神はエ レミヤを通してイスラエルの民に語りかけました。 まず、神は民に歩み寄られます。「そのとき…わたしはイスラエルのすべて の部族の神となり…(1節)」とありますが、以前から神はイスラエルの神で す。これは神から離れてしまったイスラエルの民に、神御自身が近寄っておら れるのです。 次に神は、民に恵みを与えることを約束しておられます。「剣を免れて生き 残った民は荒野で恵みを見出す(2節)」とは捕囚からの解放、イスラエルの 回復の預言です。イスラエルの苦難は神から離れた結果ですが、それでも神は 、御自身の民が苦しんでいるのを放っておかず、悔い改めの機会、解放への道 を用意して下さるのです。 そして神は、「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した(3節)」と言 われました。私たち人間の愛は不完全なものです。「永遠の愛を誓う」と言っ ても、そうできない弱さがあります。その時の状況によって愛が揺れ動いたり 、なくなってしまうことすらあります。しかし神の愛は永遠です。すなわち「 どのようなことがあっても、決して変わることのない愛」です。 聖書の中には人間の罪が数多く示されています。アダムとエバの堕罪をはじ め、その息子たちの間で起きた殺人、ノアの洪水前の人々の悪の増大、洪水後 のバベルの塔、モーセの出エジプト後の金の子牛(偶像)礼拝…。いずれもそ の根底には「自分が神になる」あるいは「神以外のものに支配される」という 罪の問題があります。それにもかかわらず、神の愛は途切れることがありませ んでした。なぜなら、神の愛は永遠だからです。たとえどのようなことがあっ ても、神の愛が絶えることは決してありません。 もし神の愛が永遠でなかったなら、アダムが罪を犯した時点でその愛は絶え ていたでしょう。アダムとエバは神に 打たれ、人類の歴史はそこで終わって いたはずです。でも神は、そうなさら なかったばかりか、罪を赦す道、すな わち救...