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5月, 2025の投稿を表示しています

2025年6月1日 礼拝メッセージ動画

マルコの福音書9章48〜50節 テーマ「心を頑なにするメッセージ」 動画は こちら

2025年5月28日 祈祷会メッセージ動画

イザヤ書29章 テーマ「耳の聞こえない人が書物のことばを聞く」 動画は こちら

2025年5月25日 礼拝メッセージ動画

ルカの福音書22章31〜34節 テーマ「あなたのために祈りました」 動画は こちら

2025年5月25日 メッセージテーマ【 「あなたのために祈りました」 】

しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。 ルカ 22:32 サタンは、人を主なる神から引き離そうとします。人々が神を信じないよう、あの手この手で 策を講じます。他の神々に心を向けさせたり、この世の事柄だけに関心を持たせたり...。 そして、神を信じているクリスチャンに対しても攻撃を仕掛けてきます。サタンは、クリスチャン であっても、何か苦しいことがあれば神を恨んで離れていくと思っています。あるいは巧みに 誘惑すれば神を捨てて自分のもとに来ると信じています。だから、ありとあらゆる手段で クリスチャンをつまずかせようとけしかけてくるのです。ペテロに対しては、イエスのことを 「知らない」と言わせようとしました。不思議なことに父なる神は、サタンがペテロの信仰を揺さ ぶることを許されました。神のご計画を実現していくためにサタンの企みが用いられることが あります。理解しがたいかもしれませんが、サタンですら神の御手の内にあるということです。 イエスはペテロのために祈りました。「ペテロが『知らない』と言うことのないように」ではあり ません。「あなたの信仰がなくならないように」です。この祈りこそ極めて重要です。そしてこの 祈りの成就は、ペテロが三度イエスを「知らない」と言ったところから始まっていくのです。 ペテロは自分の弱さを認めることができず、「たとえ、ご一緒に死ななければならないとして も、あなたを知らないなどとは決して申しません。」と言いました(マルコ 14:31)。しかし彼は イエスが捕らえられた後、人々に「あなたもイエスの仲間だろう」と問われた時、「知らない」と 三度言ってしまいました。単に否認しただけではなく、噓ならのろわれてもよいと誓いました (マタイ 26:34)。ペテロは自分がイエスの弟子と知られると自分も捕まってしまうことを恐れ、 イエスを見捨てたのです。でも、イエスの祈りは、こうなることを見越しての祈りでした。ペテロ が三度目にイエスを否定した時、イエスは振り向いてペテロを見つめられました(ルカ 22:61)。 御自身を見捨てる場面を目撃したにもかかわらずペテロをじっと見つめ、慈しまれたのです。 ペテロは自身の罪の性質、ごまかしきれない 卑怯な性質が露になった...

2025年5月21日 祈祷会メッセージ動画

イザヤ書28章 テーマ「奇しい神の摂理」 動画は こちら

2025年5月18日 礼拝メッセージ動画

マルコの福音書9章42〜47節 テーマ「神の熱心」 動画は こちら

2025年5月18日 メッセージテーマ「神の熱心」

それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められ た。 マルコ8:31 マルコの福音書9章42-47節 きょうの聖書テキストを読まれて、イエスは残酷なことを言われると思われた方がおられる のではないでしょうか?なぜそんなことを言われたのか、追究しましょう。そのために、「イエ ス・キリストを受け入れる」ということを軸にして、イエスが言われた真意を考えます。 イエスを受け入れる...イエスは罪人を救うために来られました。救う方法は、イエスが罪人 の罪を負われることによります。それが、捨てられ、殺され、三日後によみがえらなければなら ないイエスの本当の姿です。罪と死に敗北されたイエスが、三日後に肉体をもってよみがえら れたことで、罪と死に勝利されたことが証明されました。この方を受け入れるのです。ところが イエスの弟子たちは、受難の告知を受け入れられず、理解することができませんでした(8:31, 32、9:31,32)またイエスは「だれでも、このような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに 受け入れる人は、わたしを受け入れるのです...」(9:37)と言われました。イエスは子ども、す なわち無に等しい者を受け入れるために来られました。イエスを信じる人は、そのイエスゆえ に、そのような人たちを受け入れるのです。それはイエスを受け入れることと同じです。 無に等しい罪人は死に値する者です。その人を受け入れることは、罪を許容することとは違 います。罪は必ず罰せられなければなりません。だからイエスが私たちの罪を代わりに負われ、 罰せられたのです。私たちはこの方を受け入れるのです。 これは神が定めた救いのご計画です。変更も取り消しもなく、必ず実現するものです。だか らイエスは死ななければならないし、よみがえらなければならなかったのです。この神のご計 画の視点から、「つまずかせる者は...海に投げ込まれてしまうほうがよい」の教えを見なけれ ばなりません。イエスを信じる小さい者をつまずかせることは、神の救いの計画を妨げます。 つまずかせるとは、そそのかして罪を犯させる ことです。ヨハネが悪霊を追い出した人の働き を止めさせたこと(9:38)、イエスに従うことで、 誰が一番...

2025年5月14日 祈祷会メッセージ動画

イザヤ書24章〜27章 テーマ「世の終わりの預言」 動画は こちら

2025年5月11日 礼拝メッセージ動画

テモテの手紙Ⅱ 3章14節 テーマ「学んで確信したところにとどまれ」 動画は こちら

2025年5月11日 メッセージテーマ「学んで確信したところにとどまれ」

今、私たちの救い主キリスト・イエスの現れによって明らかにされました。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたのです。 IIテモテ1:10 テモテへの手紙第二3 章14節 テモテという伝道者が、迷いと恐れ(IIテモテ 1:7)、涙(1:4)の真っ最中です。この頃、クリ スチャンに対するローマ帝国の迫害が激化しつつある頃でした。パウロは捕えられただけでは なく、キリスト教徒の首謀者的存在として、死刑の日が近づいていました(4:6)。このため囚人 パウロから離れていく同労者が多くいました(1:15、4:16)。テモテは主を証しすること、パウロ が囚人であることを恥じてしまいました(1:8)。このテモテにパウロが語ったことばが、「学んで 確信したところにとどまっていなさい」です。迷っていたら確信はできないし、間違ったものを 信じていても同様です。パウロがこの手紙でテモテにまず伝えたことは救いの理解です。「神 は私たちを救い...キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不滅を明らかに示されたので す」(1:9-10)死を待ちながら獄中でこのことばを書いているパウロと、恐れているテモテの違 いは、救いにいのちと不滅が含まれているかどうかです。死を覚悟しているパウロですが(4: 6)、「...あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです」(4:8)とまで、死んだ後のこ とを確信しています。あなたの救いの理解は天上的か、地上的か、どちらでしょうか?さらに、 「主は私を、どんな悪しきわざからも救い出し、無事、天にある御国に入れてくださいます」(4: 18)とも。天上的な希望があるから、今、死ぬほどの苦しみがあっても、クリスチャンは忍耐を もって健全な信仰生活を送ることができるのです。 ですから、キリストについて、救いについて、世の終りについても、聖書が教えているとおり に知らなければならないのです。聖書の不理解のために、こんな栄光ある祝福をわずかしか 知らなかったら、祝福を与えたい神様がいちばん悲しまれます。 また、もし私たちが学んで確信したところに留まることができないなら、教会で「俗悪な無駄 話(無益な話)」が飛び交うことになります(2:16-18)。或いは「愚かで無知な議論も」(2:23)。 意見の違いからの議論があってもよいのです。 ただ...

2025年5月7日 祈祷会メッセージ動画

イザヤ書23章 テーマ「ツロへの宣告」 動画は こちら

2025年5月4日 礼拝メッセージ動画

マルコの福音書9章38~41節 テーマ「くすぶる灯芯を消すことなく」 動画は こちら

2025年5月4日 メッセージテーマ「くすぶる灯芯を消すことなく」

傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。 イザヤ42:3  ヨハネは実の兄弟ヤコブとともに「ボアネルゲ」というニックネームをイエスから頂きました(3:17)。雷の子という意味で、正義感が強いのは良いので すが激しやすいのです。また、ヨハネは、御国においてイエスの右か左に座ることを願うほど気位が高い人でもあります(10:37)。ヨハネ以外の弟子たちにも言えることですが、ここのところのマルコ福音書の記述を思い出してみても、失敗の連続です。イエスの受難を受け入れられず(8:31-)、悪霊を追い出すことができず(9:14-)、誰が一番偉いかと論じ合(9:33-)…弟子としてふさわしいのでしょうか?確かなことは、それが彼らであり私たちであること、その者たちをイエスがお選びになったことです。これを前提として、今日のテキストを受け止めたいのです。ヨハネは、イエスの名によって悪霊を追い出している人が、イエスについて行くことを拒んだために、その行為をやめさせました。しかし、イエスは「やめさせてはいけません」と。イエスの名において悪霊を追い出す働きは、イエスの権威によるイエスご自身の働きです。ヨハネの判断はイエスの邪魔をすることになります。またも失敗のヨハネは、これからも失敗するでしょう。その彼にイエスが教えた真理は、「あなたがたがキリストに属する者だということで…一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません」です。これを失敗のヨハネに当てはめます。彼の価値は、その失敗によって変わることがないのです。だからイエスは今後も彼に大事な働きを委ねます。なぜなら、彼が「キリストに属する者」だからです。イエスを信じて、罪を赦されて救われた人だから、弱くて、これからも罪を犯しても、その価値は変わらないのです。イザヤ42章3節は、二つの意味に取ることができます。2,3メートルにもなる葦はまっすぐ伸びますが、弱く折れやすい。神はそのような私たちを守ります。今にも消えそうなともし火を守るように、私たちを守ります。もう一つは、折れてしまった神の教えを再び立たせるという意味です。「葦」は「物差し、原理」などの元の意味があ ります。つまり物事をはかる尺度としての「聖書」を指します。「ともし火」はみことばの光を意味します。消えかけている神の教え...